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紅茶の歴史
茶樹であるカメリア・シネンシスは何千年も前から存在しているが、飲料として利用するために栽培された形跡は、5,000年以上前の中国の起源まで遡ることができる。
その何年も後、紀元前8世紀には、中国の詩人であり学者であった陸羽が『茶経』を著したとされている。
紀元前780年頃に完成し、詳細な3巻からなるこの唐代の傑作は、栽培から飲用まで、茶の旅のすべての段階を網羅している。
当時、茶は米、油、塩、酢、醤油、薪とともに「七必需品」のひとつとされていた。中国の茶の産地では、どんなに貧しい家庭でも切手大の庭を持ち、そこで「液体の玉」を栽培していた。
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Tea spreads to Japan
9世紀初頭、中国を巡礼していた日本の仏教僧が、茶を携えて祖国に戻ったと考えられている。日本人は独自の「茶れんが」を開発した。茶を圧縮したブロックを搗き、運びやすい形に成形したものである。
塊を割ってお湯を入れるだけ。即席のお茶だ。こうして飲まれたお茶は全国に広まり、嵯峨天皇とその臣下たちに愛された。
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紅茶がヨーロッパに届く
紅茶がアジアからヨーロッパへと飛躍したのは、それから何年も経った17世紀のことだった。オランダとポルトガルの貿易商が、マカオやジャワ島からシルクやスパイスとともに贅沢品として持ち込んだのだ。
紅茶は瞬く間に流行となり、ヨーロッパ本土全域、イギリス、地中海地域、そしてロシアでも支持され、1618年には皇帝ミハエル1世が中国から紅茶を贈られた。それから間もなく、長いラクダのキャラバンが毛皮を中国に運び、お茶をモスクワに運ぶようになった。
イギリスでは、1662年に国王チャールズ2世がポルトガルのキャサリン・ブラガンザと結婚したことで、紅茶の人気が飛躍的に高まった。キャサリン妃は持参金の一部として紅茶を持参し、朝食時に楽しむ飲み物として紹介した。第7代ベッドフォード公爵夫人アンナは、昼食と夕食の間の午後の飲み物として紅茶を普及させた功労者である。
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アメリカは紅茶と恋に落ちる(そして恋に落ちる)
紅茶の飲用はヨーロッパから北米へと急速に広まったが、イギリス国王ジョージ3世が不評を買い、人気が急落した。
1773年、アメリカ先住民に変装した抗議者たちが東インド会社の船3隻に乗り込み、積荷の紅茶を海に投げ捨てたのだ。ボストン茶会事件として知られるこの出来事は、紅茶離れの先駆けとなり、紅茶が復権するまでには数十年の歳月が必要だった。
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Time for tea to go global
ヨーロッパではコーヒーが主流であったが、イギリス全土で紅茶の人気が高まり、ビクトリア女王の治世を通じて貿易を行った大英帝国の成長とともに、紅茶は世界的な成功を収めた。
紅茶農園はインド、セイロン(現在のスリランカ)、そして最終的には東アフリカに誕生し、現在も私たちの茶園がある。